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アメリカにおける産業遺産の保存と活用
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産業遺産の保存、活用の動きは1960年代から
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| アメリカにおいて、産業遺産の保存、活用の運動がはじまったのは1960年代からです。戦後、歴史的建造物が次々に解体され、新しいビルにとって代わっていく中、ペンシルバニアの駅もまた例外ではなく、1965年にスポーツアリーナに変わってしまいます。 しかしこれがみごとに失敗したことで、産業遺産、歴史的遺産保存の運動が全国的な規模になり、1966年に歴史的建造物保存法が制度化されたのでした。 日本において歴史的建造物を保存する動きは、19世紀末頃から神社仏閣などを中心にという形でしたが、アメリカでは、「美しい」または「特徴のある」建造物はもとより、「歴史的事実を示す」もの、あるいは「技術の発展を含む」ものなど、その対象が最初からより広範囲だったことが特徴でしょう。 |
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| たとえば、アメリカ全土に電力を供給したフーバーダム、ニューヨークと五大湖を結んでいた水道橋。古い水門だけでなく新しい水門を含めて、地域全体を産業遺産地区(サイト・ディストリクト)として登録した例、産業革命当時にできた木綿繊維の工場。その他、蒸気機関車、船など、中には米国海軍がスペインアメリカ戦争当時に使用した船も。現在までのところ建物単体だけで20万、サイト・ディストリクトとしても2万件もが登録されています。 | |||||||||||||||||||||
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アメリカにおいても・・
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| アメリカにおいても、以前は産業遺産やその跡地などはあまりよいイメージがなく、ましてやそれを保存しようなどという意識は希薄でした。 今日であれば確実に企業のPR材料になるもの、会社のイメージアップにつながるものを1970年当時はどんどん壊していったのです。アメリカでの産業遺産に対する価値観が、当時と現在でどれほど変わったかというのは極めて興味深いことです。 1973年に強力なNGO組織(Society for Industrial archeology or heritage)が発足、産業遺産を全国に訪ねるツアーを数多く企画しました。このことにより、産業遺産は、再利用できるものであり、保存すべきものだ、ということに人々が関心を持つようになったのでした。 |
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| 1976年、大規模な商業ビルなどの産業遺産の保存をさらに促進しようということで、税制改正を実施、きちんとした修復のプログラムを持ったプロジェクトに対してはインセンティブを設けるということをはじめました。 そうすることで、それまでは全くといっていいほど無関心だった民間ディベロッパーが、「修復をすることによって大きなビジネスチャンスが生まれる」ことに強い関心を持ったわけです。 |
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具体的な保存・活用方法 / Reversibilityとは?
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産業遺産の具体的な活用方法としては、(1)ミュ−ジアムにしてしまうこと、(2)現状維持、そして(3)オリジナルの用途で、または用途を変えてであっても、とにかく使い続ける、という3つがあげられます。 新しい機能用途を付け足すのもいいですが、やはり、建造物は本来の用途で使い続けるのが最良の保存方法です。歴史の重み、その建物が本来持っている雰囲気を残すことこそが大切なのです。 Reversibility − つまり、たとえ一時、他の用途で使われていたとしても、本来の用途に戻せる可能性を残すこと− が重要でしょう。 ニューヨークのグランドセントラル駅は5年かけてほぼ完璧に修復され、現在ではアメリカで最も美しい駅として君臨しています。 |
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『遺産の回廊』について
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もちろん中には、その用途でずっと使いつづけることができないものもあります。そうした場合は、「遺産の回廊」として残すことも考えられるでしょう。
フィラデルフィアのデラウェア川とニューヨーク市のハドソン川をつなぐかつての運河は、その役目を終えた今も、水路に沿って市民がサイクリングできるスペースとして残っています。 運河沿いには小さな町が点在し、そこにあるレストランや小さなショップに人々が立ち寄る。そのことで周辺のコミュニティもそのまま存続できるのです。こうした遺産の回廊(ヘリテージ・コリドー)という概念は、日本でもたとえば東海道などがあてはまるのではないでしょうか。 2年程前に日本橋から京都まで旅をした時、古い家屋や工場が取り壊され、重要な産業遺産がなくなっていくのを感じ、たいへん残念に思ったものです。東海道をきちんとしたポリシーを持って整備していけば、素晴らしい可能性があるのではないかと感じます。 |
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日本の産業遺産について
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| 一見、何でもないように思える建物の中にも、実は素晴らしい価値のあるものが日本全国にはたくさんあります。 文化庁の指定がなくても、民間の資金を投入して何か象徴的モデルをつくることができないでしょうか。投資する側にとっても充分ビジネスチャンスになり得るものが多々あると思います。 |
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| たとえば、愛媛県尾内町にシルク工場があるのですが、これをショッピングセンターに変えてしまっていいのでしょうか? 「日本産のシルクは世界のアートの修復に欠かせない」ということをご存知でしょうか。世界中の修復技術者が現在いちばん心配しているのは、日本のシルクの供給がいずれなくなってしまうのでは、ということです。 日本だけでなく、世界中において言えることですが、伝統産業の中にも、うまく市場を見つけられないものがたくさんあります。でも、よく探してみれば実はニーズは思わぬところにあるかもしれない。それを探す努力をすれば、再生のチャンスは必ずあるはずだと思うのです。 |
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レポート/岡安恵美子 2002 . 7 . 31
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